「花子とアン」村岡花子女史とホームの出会い


 


 
<エリザベス・サンダース・ホームと「赤毛のアン」>

 「赤毛のアン」の原著本はカナダの女性作家ルーシー・モンゴメリーの「Anne of Green Gables」であり、この本のカナダでの初版は1908年です。「赤毛のアン」と題されたこの本は村岡花子が太平洋戦争中に翻訳完了し戦後、1952年(昭和27年)に当時の三笠書房から出版され、戦後の児童、女性を中心にベストセラーとなりました。

 村岡花子は明治26年に山梨県で生まれ、2歳で洗礼を受け、5歳で一家そろって上京。10歳の時にカナダメソジスト派が設立したミッションスクール東洋英和女学校に給費生として入学。成績優秀(特に英語は一番)で20歳で卒業。その後、山梨英和女学校に英語教師として赴任します。この時期、卒業の前後に東京でのボランティアー活動中に東京帝大生の澤田廉三と出会います。二人は親しい友人としてお付き合いがあったようですが、澤田は将来外交官になる志を持っていて、また、花子は卒業後、村岡家の長女として一家を支えていく状況にありました。花子にとって、澤田は“初恋”の相手ではありましたが、澤田の外交官試験合格、そして、フランス駐在赴任をもって二人は別々の人生を歩むことになります。

 「赤毛のアン」の原作本は花子の友人である英国聖公会の宣教師で英語の教師であった
ミス・ロレッタ・レナード・ショー女史が1939年(昭和14年)太平洋戦争直前にカナダに帰国する時に花子に餞別として贈ったものです。花子はこの原本を戦争中にミス・ショー女史の願に報いるため必死で翻訳し戦後にやっと出版出来たのでした。この本の主人公アンは孤児です。しかしアンは明るく、元気に優しい心を持った少女として生きていくのです。このことが敗戦国日本の子供たちに勇気と希望を与え、ベストセラーになったのでした。村岡花子は一流の翻訳家、作家としての地位を確立し、また女性の社会進出活動も積極的に参画していきました。そして、昭和23年に設立されたエリザベス・サンダース・ホームを訪れ、澤田美喜に出会うのです。花子は澤田美喜の情熱あふれる孤児への愛情に心打たれ、その後幾度か、ホームを訪問し、澤田家と家族ぐるみの付き合いをしたようです。

 澤田廉三は初代国連大使として敗戦国日本の国連加盟に尽力します。夫人の澤田美喜は戦後の孤児のために献身的に尽力します。村岡花子は「赤毛のアン」で戦後の子供たちに勇気、希望を与えました。この3人が戦後に果たした功績は“神”の導きではないかと思います。
                             (文責 小笠原 康起)
*敬称は略させていただきました。
*参考文献 「アンのゆりかご」~村岡花子の生涯    村岡恵理著

ロレッタ・ショー

 2014年4月から9月まで放送されたNHK朝ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子に
「赤毛のアン」の原書を初めて渡したのは、聖公会の女性宣教師ロレッタ・ショーでした。
彼女はカナダ生まれ。大学を卒業後、1904年11月にカナダ聖公会婦人伝道補助会に
派遣され、来日しました。教育宣教師として大阪のプール学院で教鞭を執っています。
 花子は「私の英語はカナダ人教師から教えられたもの。カナダ人と話すのがいちばん
愉しい」と語ったという。
 このショーから手渡されたのが「赤毛のアン」の原書「Anne of Green Gables」です。              
                         (聖公会新聞 2014/10/25付け)