澤田美喜女史の出生

1901年9月19日 岩崎久彌(三菱財閥3代目総帥)の長女として誕生。三菱財閥創始者 岩崎彌太郎の母美和と妻喜勢から一字ずつ取り、命名
1922年7月 外交官・澤田廉三と結婚
1930年7月 夫ロンドンに赴任、随行
1931年秋 ドクター・バーナードス・ホームで週に一回奉仕活動を始める。

1932年春

10月

歌手ジョセフィン・ベーカーと知り合い、以後交友を深める。
夫パリに赴任、随行
画家マリー・ローランサンの弟子となる。
1934年2月 夫ニューヨークに赴任、随行
1945年8月 三男晃戦死
1946年10月 エリザベス・サンダース女史が日本聖公会社会事業に$170を遺贈
1947年10月 混血乳幼児収容施設発起人会が聖路加国際病院にて開催され、エリザベス・サンダース・ホームと命名
1948年2月 社会福祉法人エリザベス・サンダース・ホーム創立。理事長兼園長に就任

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設立の背景

エリザベス・サンダース・ホームは、澤田美喜女史によって創設された児童養護施設です。
美喜は、1901年三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎の孫、三菱三代目の当主・岩崎久彌の長女として生まれ、成長して外交官・澤田廉三に嫁ぎ、海外生活を送る一方、クリスチャンとしての信仰を深めました。
彼女は、ロンドンに駐在中に「ドクター・バーナードス・ホーム」という孤児院で、ボランティアとして奉仕する機会を得て、「お金で買えない幸せ」があることに深い感銘を受けました。
第二次世界大戦後、駐留軍兵士と日本人女性との間に生まれた混血孤児たちの不遇な状況を目のあたりにし、この子どもたちを救うのが自分の使命であると考え、救済に立ち上がりました。
戦後の財閥解体により岩崎家の手を離れていた大磯の別荘を、金策に大変な苦労をしながら買い戻し、1948年2月にエリザベス・サンダース・ホームと名付けた乳児院を創設しました。
その後、子どもたちの成長に合わせて児童養護施設とし、2千人の子どもたちを育て上げて社会に送り出し、1980年旅先のスペイン・マジョルカ島で急逝するまでの30年間、母として教師として子どもたちの養育に人生を捧げました。

あゆみ

1946年10月22日

英国聖公会信徒エリザベス・サンダース女史、東京目白・聖母 病院において逝去

日本聖公会の社会福祉事業に170ドル(当時61,200円)を遺贈

1947年10月1日

混血乳幼孤児収容施設設立発起人会が東京・築地・聖路加国際病院において開催

上記170ドルを設立基金とし、同女史を記念として、新施設をエリザベス・サンダース・ホームと命名

澤田美喜女史、発起人代表に就任

1948年2月1日

乳幼児エリザベス・サンダース・ホーム創立

澤田美喜女史、初代園長に就任。2名入所

1953年3月16日 社会福祉法人エリザベス・サンダース・ホーム設立認可。澤田美喜女史、初代理事長に就任
1953年4月 学校法人聖ステパノ学園小学校開校。 澤田美喜女史、初代校長 に就任
1955年10月30日 昭和天皇・皇后両陛下ご来園
1957年2月 パールバック女史、アメリカでの自立援助のため園児4名引き取る。
1959年4月 聖ステパノ学園中学校開校。澤田美喜女史、初代校長に就任
1972年5月 澤田美喜女史、勲二等瑞宝章受章賞
1978年7月 日本テレビ「子供たちは七つの海を越えた-サンダース・ホームの1,600人-」放映
1980年5月12日

澤田美喜女史、スペイン・マヨルカ島パルマ市において客死。享年78歳

正四位に叙せられ、また大磯町から名誉町民称号を贈られる。

1987年12月 「澤田美喜記念館」新築落成
2002年11月6日 平成天皇・皇后両陛下ご来園
2016年4月 認定こども園「あおばと」が開設
2018年5月 エリザベス・サンダース・ホーム創立70周年、澤田美喜記念館創立30周年記念式典開催

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